最近はロボットの調整で多く時間が使われていましたが、少し余裕が出てきました。冬休みということで、というのもありますが(まだ学校はあるが)。
久しぶりに物語の世界に浸っていました。まあ、媒体については触れないということにしましょう。物語の面白さというのはいろいろなものがあります。感動して涙するもの、とにかく笑うもの、ちょっとした知識を学ぶもの、とんちを聞かせて頭の体操、などなど。またそれに加え、いろいろな受け取り方があると思います。何時間も集中して受け取るものや、一日づつほんの数分受け取り長い期間をかけて受け取るもの、はたまたほんの数分ですべて受け取るも、さらには単なる日常のバックグラウンドにあるものや、何かの片手間に受け取るものがあります。
それぞれは違うものですが、物語としてテーマがあり、ストーリーがあり、個性あふれるキャラクターたちがいて、その媒体つまり、製作者に代わり私たちに表現してくれるものがあります。
受け取る側にもいろいろあります。アクティブ、つまりその表現を受け取ろうとして行動を起こすのか、それともパッシブ、つまり意図せずに受け取るのか。
ある物語について、おんなじ媒体で表現されても、受け取る側によってその物語というのは人の数だけ形を持ちます。それぞれの経験とそれによって培われた価値観の差によって人は自分の好きな物語を形作ります。
ある物語について他人と意見を交わすことはとても楽しいことです(少なくとも私はそう思う)。上のようにおんなじ条件下で受けとったとしても、それぞれいろいろな感想をもち、その人だけの興味そそられるところがあるはずです。それによって自分の気づかないその物語の、自分の好きなところと自分にはあんまり興味が無いところを新しく発見できます。もちろんそれは発見とは言いがたく、別の見方、捉え方です。それによって、自分の中でその物語は新しく形作られ始めます。そのことを繰り返すことで、ある物語というものは個人の中で大きく成長していきます。その人の新たな価値観となり、多くの捉え方を元に新たな捉え方を創作しまた新たな発見へと結びつきます。
物語というのは暇つぶしであり、人生という我が家の柱の一つです(少なくとも私にとっては)。これを仕事にしている人もいますが、近くにいないのでよくわかりません。ですが、時には他のやることに押され、物語から離れてしまうこともあります。しかしそのときであっても、かつて記憶された物語というものが丈夫な柱として、自分を支えてくれます。
物語に浸ることの出来る時間というのはとても幸せな時間だと思います。今度はどんな物語にいつ浸ることが出来るのか、とても楽しみです。
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