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たまにロボットを考えるブログ・・・。
 もう、6時だと思えば、外には闇がひろがります。去年の今頃は、自分は何をしていたか。初代ロボットはすでに四肢を動かせる段階であり、かつ歩み始めようとしていたような。そんな季節だ。大学とはこんなものかと感じ、すでに過ぎてしまった大学生活1/8を思う。かつての恩師はよく言った、「これから半年後にどれだけ変われるかは、半年前の自分と比べてどれだけ変わったかだ。」だから今何をするのか良く考えなければならない。

 自分が今の立ち居地、居場所、そしてそれを決めている周囲の環境を見回してみて、それが自分の選んだものであり、そしてそれが”唯一の選択”であることを思い出して欲しい。自分はいつも目の前のものを見て判断している。ロボットなどやっていれば、いつ、どこで、なぜかを鑑み、次の行動を決定する。ということを考え、ここを~して、そこで~して、あそこで~して、というに考える。そしてそれは同時に、ここを~すれば~であり、そこを~すれば~と考えられる。というより考えるほかない。そうでなければ、ロボットは動かないだろうし、作られない。しかし、それはロボットであり、自分ではない。「後悔」という言葉がある。これはその大いなる戒めである。その心は、人は自分のやったことを後で悔いるということで、それは人が自分が歩む人生が一本道であることを正確に絶対だと認識している。つまり、いまの瞬間が大事で、しかも大事ではない。また、悔いることなきよう良く考えて選択することを意味して、かつ選択すること自体の意味をなくしている。

 つまり、いま自分がいるところは、自分の選択の結果であり、そして唯一歩める人生だということである。これは考えようによっては怖い。選択することが無意味だとすれば、自分の意欲というものの存在に疑惑を持つ。それは自分の意識によって、常識非常識を見分け行動しているという認識に立っているものからすれば、常識であろうが、非常識であろうが、それは選択であって選択にはならない。つまり、かつての恩師のたとえを使うと「今自分は切符売り場にいる。自動券売機に並んでいる。そうして券売機の前にはお年寄りがいる。そのお年寄りは機械に慣れず、うまく切符が買えない。当然時間がかかる。そのとき自分はあんまり時間がなく、早くしたいと思っている。この状況で自分がなすことは何か。お年寄りの切符券売機ではないところを目指すのか、それとも、お年寄りに使い方を教えてあげるのか、それとも、ただ待つのか、それとも、急ぎだと言ってお年寄りにどいてもらうのか、それとも、お年寄りを無理やり押しのけるのか、じぶんはどうするのか。」というように、自分の行動は様々選べる。この選択に意味がないとすれば、自分は何をするのか。たぶん人それぞれなのだと思う。しかし、お年寄りを押しのけるのはどうなのだろうか。おそらく、これを選んだものは遠からず悔いるだろう。しかし、悔いることが無意味であり、あの時~すればということの意味を持たないと考えれば、自分が~した方がよいなど、考えることに何にも意味がないことになる。つまり、世間一般の常識から考えて、ある意味危険な行動をすることが、危険な行動ではなくなってしまう。そういう怖さがある。

 とまあ、今日も暇人である。バッテリが落ちる。

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